卒業のきせつ

昨日はアシスタントの男の子の誕生日だとかで,屋上で花火をして遊んだあと,誰かが買ってきたケーキをお相伴.7時から著名な数学者が研究の喜びについて演説されるとかで,早めの時間に餃子をほおばり,会場へ移動.危惧された通り,演説はすべて中国語.
演者は,カラビ・ヤウ図形の幾何が専門だったが,中国文学と歴史の話しがほとんど(たぶん).前回の全球温暖化に関するレクチャーもそうだったけれど,社会学とか文学を織り交ぜられたサイエンスって少し苦手.叙情的な表現も悪くないのだけれど,本当にキレイなのは数式で,H野先生が言ったように,数式の=によって変数の相対的な関係が表わされているから,わざわざそれを言葉で説明する必要はないのだと.

一緒に行ったポスドクの小panは「色々考えさせられたよ」と言っていたから,わたしがフォローしなかった中国語の中にほんとのエッセンスがあったのかもしれないな.

歴史に名を残した数学者たちは,多くが30歳前後で重要な仕事を成し遂げているので,誰かは「若いうちは証明を解き,老いたら本を書けばよい」と言ったらしい.数学の証明に費やされる集中力と発想力は若い人のスタミナに依存しているのかもしれないし,それらは,激しい精錬の中であっという間に摩耗してしまうのかもしれない.
29歳.がんばれ.


ところで,昨日,今日とふくろう博士姿の学生が目につく.向日葵やトルコキキョウの大きな花束.卒業式だ.台湾の6月にあの格好は…ちょっと暑そう.