神さまの問題

また台北.基礎發音クラスが5時に終わって,6時15分発のTHSR,台北に8時.MRTで公館駅下車,無事発見された試料のサンプリングを終えて一息.



お昼にいつもの食堂でエビ炒飯を食べながら,ghost monthの話しになったので,神さまを信じてないわたしにY老師が
「じゃあ,お前は命のサイクルについてどう思うんだよ」
と聞いてきた.「お前が死んだ,そのあとのことだよ」


わたしが死んだら二酸化炭素と水と,それからわずかばかりのカルシウムになる.
Y老師は笑って,「それで,ちょっと地球を暖めるんだな」と言った.
んー,まぁ,そうなるね.



その後,17時のウォーキングで,Y老師が「人生のフィロソフィーについて聞かせてくれよ」と言うので面喰ってしまった.
フィロソフィーって?
「なんでお前が研究するのか,さ.考え方で人生の見え方が変わるんだよ.もし,研究で難題を解いたら,世の中は難題を解く前よりも少しだけ簡単になるよ」
・・・
でも,ひとつ難題を解いたら,次はもっと難しい問題を見つけちゃうんじゃない?
「何を難しい解くべき問題とするかも含めて,考え方ひとつなんだ.
論文を沢山読んで知識を得るだろ.それから,そこで得た知識をいったんゼロにして,まったく独立に理論を組み立てるんだ」



「そうすればブッダになれるよ」
と,Y老師は言った.